国会を「相談の場」に戻すには?

 朝日新聞を辞められた鮫島浩さんが始められたSAMESEMA TIMES(https://samejimahiroshi.com/)で、「あなたは国会を支持しますか?」というアンケートが行われています。これに対して「国会を支持しにくい」と答えましたので、国会が少なくとも「相談の場」としての機能を回復して欲しいとの観点からその理由を書いてみたいと思います。
 人間も生物である限り、外部からもたらされる危害を回避し生き延びることは当然優先されることですから、個人的な危害への回避策(レジリエンス)が個人の無意識的な基礎原理になるはずで、これは生物に共通していると思います(幼児もそうだし、動物に限らず植物でもウィルスでもそうです)。しかし、人間においては外部の環境をことばによって抽象化しますから、無意識的な環境反応に加えて、近未来に起こり得る自分の危害を社会における共通の危害の中のひとつと意識的に捉えます、社会で共有される危害と自分個人の危害は区別して意識されざるを得ないので、歴史以前の村社会が発生して以来、ことばを用いた「打ち合わせ」「寄り合い」が「相談の場」として現れてくるのだと考えられます。選挙制度を経た議員で構成される国会も、「相談の場」であることに変わりが無いはずですが、現在の日本の国会はその機能を果たせていないと思います。
 外国はよくわかりませんが、伝統的に日本で行われる会議の多くは、この調整を行う相談の場として機能しない傾向があります。なぜなのか?はむずかしい問題ですが、「現状に反対しないほうがいい」「異端にはなりたくない」との意識が個人の危害回避としては有効だとの無意識の思いが多くのメンバーに共有されているため、時間制限のある会議では、会議開始時点での危機回避対策が会議終了時点でごく一部の修正を除き踏襲される結果になるのではないか、と思います。安倍・菅政権では、この従来からの傾向のさらなる進化形態として、「一部の修正を模索する」ことをも避けてただ時間つぶしをすればよいとの意図が露骨に出ており、「対策は何にもしないけれど、しっかりと対策を講じると発言する」「答えたくない質問はすべて回答を差し控える」、「あらかじめ用意した文章を質問とは無関係でも何度でも読む」、「時間を潰せるなら虚偽であってもかまわない」という、政府の国会軽視が実現化してしまいました。
 戦前における「兵隊を飢餓に追い込み、国民を見殺しにする」、「外国人の捕虜は人体実験にして虐殺する」政策は、最近「オリンピック開催に固執し、新型コロナに対して国民を守らない」「働いている外国人の人権を入管が蹂躙する」かたちで再現されていることから、政権の国民に対する裏切りが明瞭になっているとは思うのですが、最初に述べた「個人的な危害への回避策(レジリエンス)が優先される」という点に立ち返ると、こうした個人の判断を超える社会で共有される危害には、直接的な関心がもちにくい、そういう原理が出やすいと思います。いかに異常な政権であってもそれに反対するよりも迎合することのほうが「個人的な危害回避」の観点からはベターだとのレジリエンスからの判断が避けがたいからです。個人としての判断は、敗戦でも3.11でも新型コロナでも変わらないわけです。
 はじめに述べたように、個人の危機回避と社会で共有される危機との差異が人間では意識されるがゆえに、「相談の場」が成立してきたわけです。しかし、日本では、「相談の場」が存在しないわけではないのですが、正式な相談の場で話し合うより前に、他人には知られたくない本音を重視した少数のメンバーによる非公開の「相談の場」がおそらく複数存在していて、正式な相談の場はセレモニー化する、もっとわるく言えば「時間つぶし」になってしまう特徴が顕著です。初めから決まっている結果に反対する人物は、大人げないKYだというように多数メンバーから排除されます。正式な会議メンバーにそういうKYも含まれる可能性も否定できませんから、議事録はできれば作りたくないし、作ってもさっさと廃棄するに超したことはないわけです。
 ですから、少なくとも、現状の国会が機能していない状況を改善するには、それで安定した定常状態になっていますから、かなり荒治療をして安定状態をこわさないとまったく動きません。「時間切れ」を含むルールを過度に尊重するのではなく、議論抹殺の問題に意識的に抵抗する必要があります。最近の例では、党首討論における枝野氏の質問に対して、菅氏が1964年の五輪で感動した思い出話を始めたとき、枝野氏や野党はこれを静粛に拝聴していました。これにはびっくりしました。これでは菅氏の国民愚弄に荷担するものと言わざるを得ません。「ルールは絶対に超えてはならない」と政治家である議員が信じて疑わないというような議会制民主主義国家は日本以外にどこにあるでしょうか。ルールを破ってきたのは政権ですから、ルールを乗り越えてでもそれを倒す覚悟をもっていなければ話になりません。乱闘する必要はないでしょうが、首相が無関係の馬鹿話を開始したら、割ってはいって発言を制止させ、議会が騒然となって当然です。衛視につまみ出されたら、ただちに記者会見を開いて首相に厳重に抗議するべきです。そういう真剣さが示されて初めて、新聞報道も「何がむちゃくちゃなのか」を紙面で論じざるを得ず、有権者に選挙に行くように促すことができるだろうと思います。静粛に馬鹿話を聞かされる現状では、政治に対する不信感だけが拡大し、馬鹿話与党を応援する結果になることは明らかです。
 個人の危機回避と社会で共有される危機との差異がある以上、国会は重要ですが、実質的に機能させることは想像以上にむずかしいことで、とくに正式な会議が「お飾り」であることを多くの国民が「会議とはそういうものだ」と認識している日本ではなおさらです。よほど意識して孤立することを恐れずに正論を吐かないとだめで、例に挙げた党首討論での首相の馬鹿話は絶好のチャンスであったはずです。国会で審議すべき重要課題は、五輪のみならずいっぱいありますが、議論を時間つぶしと考えている相手に、「議論を尽くして対抗する」だけでは先に進まないです。国会が「相談の場」に戻るよう、念願しております。

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