学術会議任命拒否の違法性追求の意義

 菅首相による学術会議の人事介入事件は、官僚人事は私利私欲で運営できるのに、思想・学術はそれができないことが我慢ならない、という安倍前首相の発想に引き続く流れで発生したように思います。「学問の自由」への明確な侵害であることは言うまでもないです。ところが、国民に、「誰でも意見を自由に言えること」とは切り離された「学者という特権を持つ者が社会から切り離された研究を自由に楽しむ」と捉えられてしまう恐れが十分にあります。結果的に広範の国民の支持を得られない場合、自由に意見を言えない思想統制を招く危険性が高いと思います。学問や表現の自由を権力者との対立緊張関係の中から長年の苦闘の末に苦労して獲得した経験のない日本においては,欧州とは異なり、中国.ロシア、北朝鮮のような独裁国に滑り落ちる恐れは十分に高いです。
 
 そこで、この人事介入の問題が「学問の自由を守る」というよりは、さしあたり、日本学術会議法に対する違法行為であることを強調し、国民の共感を得るように努めるベきで、それによって国民と学者との分断の政権の意図を食い止める必要があると思います。日本学術会議法は,第7条に210人の会員をもって組織することと補欠の会員の任期を規定しています。名簿を改ざんして首相に提出した杉田官房副長官に厳罰を与え、任命されなかった6名を菅首相が任命し謝罪することしか、この件における違法行為は解消できない、この点で国民の意見を一致させるのが良いのではないでしょうか。
 
 97歳の気象学研究者、増田善信氏が日本学術会議の総会を控え、菅政権による任命拒否を撤回させる署名を始めておられます(ぜひココからご賛同をお願いします)。しかし、賛同は、学者と関係の人にとどまっているようにも思います。
 
 ここでいちばん主張したいことは、人文社会科学・自然科学を通じて、国民はもちろん、学者ですら、日本では、「学問や表現の自由」を当然にして享受できる、もしくはその享受が国民に許容されている、と錯覚しているのではないか、ということです。第二次世界大戦のときを思い起こせば、こうした自由を享受できる権利は風前のともしびになっていると思われます。「本当は政権に抵抗したかったのだけどできなかった」、戦争当時のインテリの弁明がまたきっと再来します。なぜなら、政権・学者・国民の相互関係や基本的な意識が戦前と現在とで変化していないからです。

今はそのくらい重要な時点だと小生は思います。



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