悪戦苦闘をする者への揶揄

 ほとんどの人間は、さまざまな苦境に陥る経験をもっています。どうしたらいいのか「悪戦苦闘」しても苦境から抜け出すのは困難です。でも生物に共通のレジリエンスを人間個人はもっていますから、悪戦苦闘を続ければ何とかなるのです。強制的に殺害や病気で生命を絶たれる場合もあり、それは残念ですが事実です。人間も生物の一種だから、それは何ともなりません。
 さて、権力を握って人権を蹂躙しながら、思いついたことを好き放題に発言して部下に命じるような最悪の政治家も寿命を持つ点では他の人と共通していて、傍目には理解しがたくても、「実はその人なりに」悪戦苦闘を続けています。他方、権力に虐げられ、人権を踏みにじられ、思ったことも言えないで我慢を強いられる一庶民も、寿命を持つ点では他の人と共通していて、当然、悪戦苦闘を続けています。「善人でも往生するのだから、悪人は言うまでもなく往生する」わけですが、生物のひとつの種として人類がもっているレジリエンスから個人の悪戦苦闘を位置づけたとき、通俗的な観点からの悪人、善人、それはどっちもどっち、これは十分に納得できます。
 しかし、「個人の往生」とは別の「人類の往生」からみた価値観があるのではないでしょうか。貴重な個人生命を多数虐殺する立場に立った(あるいはやむを得ず立たされた)、例えばヒットラー、広島・長崎原爆投下の命令実行者、インカ帝国を滅亡させたスペイン人提督、南京で中国人虐殺を命じた日本人将校など、いろいろな個人があるでしょう。彼らは間違いなく浄土に往生すると言えます。それがお釈迦様の時代から伝えられてきたわたしたちの深い智惠なのです。
 しかし、地球史の科学から、人類はいつかは絶滅することが運命付けられています。ですが、その延命を阻害することは、虐殺などの個人の悪行とは独立した「別の価値観」によるはずです。これは私たちが考えてこなかったことのように思います。
 人類の持続性をめざす悪戦苦闘は、苦境にあえぐ個人を何とか助けることとは別に、大きな課題です。この人類持続性に関する考察は、決して、目前の個人の苦境を軽視するものではありません。両方の悪戦苦闘がたいせつです。そのうえで、言いたいことは次のことです。ずいぶん卑近な問題に帰ってしまうのですが、悪戦苦闘をしている個人を揶揄する、そういう発想は避けて欲しいのです。もちろん、他人をいくら馬鹿にしても、そんな些細なこととは無関係に、その揶揄した人物は浄土へ往生します。いくらでも馬鹿にしたらいいとは言えます。でも、個人の苦境、人類の持続性の困難という大きな社会の問題に対して、議論の発展、状況の改善には、悪影響があります。それだけです。それでも悪戦苦闘を揶揄するならやっていただき、往生してください。

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