被害防衛と多数同調からみた投票行動

 多数に与える便益が錦の御旗となる事業計画では、先祖伝来の土地と住居から移転を強いられるなどの被害を受ける方々に反対されることが多いです。成田空港、多数のダム、リニア新幹線、原発廃棄物処分場など、こうした事例は無数にあるでしょう。つまり、私権が侵害されることには大きな障壁があるのが普通です。だから、私権を主張せず、他人の言うがままになってしまう人は「お人好し」と呼ばれてしまいます。けれども、そのうち反対グループの大部分が補償費をもらって移転やむなしなど、妥協の方向に情勢が変化してくると、その中で絶対反対を貫くごく少数の人は、漱石の「坊ちゃん」の書き出しにある「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」、そうした周りの空気を読めない困った人という、不当な批判を受けるようになってしまいかねません。
 ですから、子供は、家庭や学校で、「お人好し」や「坊ちゃん」にならないよう、賢い生き方を学び、普通の大人に成長して世の中を渡ってゆきます。小学校のクラスには人気者がいて、その子にあこがれながら嫌われないようにしていたことが思い出されます。いじめ被害を受ける子供もクラスにはいます。なので、多くの子供は、損ばかりしないよう、お人好しにならないよう、一生懸命、世渡りを学んでいます。国語や算数の試験で5点の子も100点の子も、この点は等しく教育されると言っていいでしょう。こうして、いじめの被害を受けないよう、多数に同調してゆくことが、楽しく毎日を暮らすための心得であることが、心の中の深い無意識に刻み込まれるわけです。
 民主主義の基本のひとつは、権力を司る人物を選挙で選ぶことですが、その人物は、「被害防衛と多数同調」の無意識を獲得した人が投票する票の数の多さで選ばれることに注意する必要があります。ですから、被害を受ける少数者主張する主張する候補者は得票数が少なくなり、当然ながら当選しませんし、親の七光りやタレントなどの有名人は、小学校の人気者に相当しますから、簡単に当選します。大きな社会問題になっていることがらで被害を受ける人たち、例えば、3.11原発の被害者、沖縄の辺野古での被害者などは、国民全体からみると少数なので、選挙結果に反映されにくいわけです。著しい被害をこうむる方々を支援する候補者が当選するためには、有権者の多くが客観的な社会の分析をしてその候補者に票が集まることが必要なのですが、自分自身が被害を受けない以上、クラスのいじめを横目で見つつ見ないふりをする習慣が確立されていますから、なかなかそうはなりにくいです。民主主義は苦難の末に庶民が獲得した制度ではありますが、著しい被害を受けている立場を支援するには十分ではないです。「民意の反映」と言いますが、直面する被害を防衛する民意、特に被害を意識しない民意が同じ数で数えられるため、民意の質的な違いを反映できない問題点を抱えていると思います。

 あえて付け加えたいのですが、これは自分自身の小学校以来71歳の現在までの経験で思うのであって、他人を批判しているのではないと言うことです。私は子供の頃にそういう世渡りを十分学べない坊ちゃんでしたが、成人してから学びなおしてお人好しくらいに進化して何とか暮らしています。自分の被害を防衛することには熱心ですが、自分以外の人たちが被害を受けていることを支援することができずにきたことを反省しています。また、人気者にあこがれる意識は小学校の頃から強かった記憶があり、その感覚は今に続いています。こうしたことから、私自身を含めて、有権者の投票行動においては、社会分析に基づくのではなく、被害防衛を意識して自分自身の利害を代表する候補者(例えば、業界や労組の関係者)に投票しやすいこと、そういう被害を意識しない有権者は多数に同調して人気者に投票するか、あるいはそういう人気者が候補者の中にいない場合は棄権してしまう、ことが現実に起こるのだと考えられます。
 経済成長期に労組に参加していた経験を思い出しますと、選挙が近くなると「オルグ」と称して組合幹部の政治情勢説明がありました。つまらない話なので組合員はほとんど寝ていて聞いていないのですが、オルグの目的は、この職場に勤めている個人の利害(主に賃上げです)を代表する候補者に投票してもらう票固めの儀式であるわけです。この候補者は当選のあかつきには、経済成長の分け前を多く組合員に回るよう奮闘し、結果的に経済が成長する社会全体における補完勢力の役割を果たしていたのだと考えられます。しかし、経済成長が止まってしまった現在では、労働者の利益を奪ってでも経済の後退による損失を回避しなければならない、こうした業界の利害代表者は依然として多数存在して与党議員として活躍しています。しかし、労組議員は分け前を多く誘導する役割には熱心でも、被害者を防衛するための社会分析がうまくできなかったため(占領下以降の日米合同委員会による米軍支配構造の社会経済への悪影響に関する分析不足など)、経済後退に対するみずからの役割を確立できず、国民の多くを占める庶民を代表するべき政党は弱体化してしまいました。そうなると、庶民に属する多くの有権者は、本当はみずからが被害を受けている立場であるにもかかわらず、小学校以来の世渡りの習性、すなわち、「直接的な被害を受けている少数者の苦しみには同情せず、みずからがこうした被害を受けないために(いじめを横目で見て人気者にあこがれる子供に似て)、多数に同調して、むしろより厳しい被害を受ける少数派を排斥する」という習性に基づく投票行動をとる傾向が出てくるわけです。被害防衛と多数同調という、子供時代から獲得してきた無意識が、投票行動に強く表れてしまっている、現在はそういう時代なのだと、私は思います。

 ところで、こうした同調圧力は日本特有のようにみえるのですが、「空気を読む」傾向は米国でも存在しているようです。ただし、子供たちは、家庭や学校で、「俺の意見をはっきり言う」ように教育されますから、俺様どうしの勝負が生じ、勝ったものがお山の大将になって他を支配し、負けた者を無視するような険悪な空気が形成されやすいように思います。トランプのようなお山の大将は、まったく社会分析に基づかないのに、利害を代表する妄言で対立候補を攻撃して大統領に当選しました。この馬鹿げた現象は、米国の空気の欠陥をよく表しているように思います。
 さて、日本に戻って考えると 先の大戦は、被害を受けた人がほとんどですから、これまで述べた「被害者が少数である社会問題」には該当しません。新型コロナの感染症も感染者は国民全体から見ると少数かもしれませんが、症状を示さない保有者から感染する可能性があって、被害が国民全体に広がっているとは言えそうです。ところが、少数の被害の場合は多数に同調することで少数の被害者を抑圧して解決できるのに、これに該当しない問題には解決する方法が見つかりません。なぜなら、「被害を受けないよう、多数に同調してゆく」共有幻想をみんなが持っているので、みんなが被害を受けてしまっていたら、同調する多数なるものが存在しないことになるからです。先に考えたように、天皇はこうした場合「みんなが被害を受けていることをよく理解している。苦しいけれども何とか回復していこう」との「メタ空気」としてのメッセージを発して、日本社会の崩壊をぎりぎりで支える役割を果たしてきました。しかし、それでいいのかが大問題です。
 というのは、地球環境問題、貧富差の極端な拡大、さらに感染症パンでミックといった問題は、日本に限らず世界共通で、被害を受けるのは明らかに世界中の多数の庶民です。ですから、「多数に同調していたら、天皇が支えて何とかなるだろう」というわけにもゆかず、「リーダーどうしが論戦して、勝った方がお山の大将として何とかする」というわけにもゆきません。たいへんむずかしいことですが、社会分析や生き方の基盤となる教育や学術の重要性があらためて問われるのではないでしょうか。少なくとも「多数が人気者に同調する」などできませんから、わたしたちが環境劣化・公害・戦争などのひどい被害を受けず「足るを知る」庶民の暮らしを続けられるにはどうするのがいいのか、についてさまざまな意見を論理的に戦わせて、方向性を得てゆくような大学教育が必要ではないか、と私は考えています。
 こうした長期展望とは別に、近づく選挙のことを考えてみますと、「選挙とは、被害防衛と多数同調の無意識を獲得した人が投票する票の数の多さで選ばれる」ということ、そういう浮動票が膨大にあるのに取り逃がしていることを強く意識して、作戦をたてる必要があるように思います。国会で起こったことは、どういうことがメディアやネットで伝えられ拡散するのでしょうか。例えば国家財政の破綻状況について自民党は何の解決策を持ち合わせていません。これが明白ですから、野党は論争において、財政破綻などまったく気にせず、山本太郎のように、現在の政治によって被害を受けている方々、人権を奪われている方々を助けることだけ主張して良いはずです。そうすれば浮動票が獲得できます。なぜなら、新型コロナ感染拡大によって、モリ・カケ・サクラ・カワイの頃に比べると、具体的問題に困っている被害者が激増し、陛下の憂慮表明とともに、多数に同調しやすい空気が被害者を救済する「政権批判の側」へと微妙に移ってきつつあるからです。政権がこの泥船状態のレイムダック状態であるにもかかわらず、陛下の憂慮というメタ空気に沿うように与党が首のすげ替えに成功し、「モリ・カケ・・・カワイ」を許容する安定的な空気が再確立されたら、野党は再びその空気の補完勢力に沈むでしょう。財政破綻の回避や学術教育の再建などの基盤的政策は、政権奪取後に、安倍・菅政権が私物化した行政機構を再建してから、じっくり考えればいいだろうと思います。

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