総選挙結果のしんどさ

 選挙結果が出ました。立憲が惨敗、維新が大躍進で、選挙前よりもより悪くなったようです。甘利氏が小選挙区で敗れるなど、個人的には、お灸をすえられた部分もあって、野党の戦い方が、安倍・菅政権の民主主義・行政の破壊についての国民の怒りを票に結びつけられなかったという失敗が目立つように思います。怒りが投票率に反映されていないことからも明らかだと思います。

 日本の国民には、政治に関心があるなしにかかわらず、政治はどうしてみても変わらないという強い信念が共有されているように感じます。したがって、小泉純一郎以来の「改革」だとか維新の言う「身を切る」とかのキャッツフレーズに左右されて選挙の結果が動かされます。今まさに困窮に直面している立場(食べるに困る人や住む環境を奪われかねない人)の救済、次世代へのつけの緩和(地球環境維持・エネルギー・生物資源などの持続的確保)という短期と長期の政策決定が最大の問題なのに、その問題への取り組みは、選挙では棚に上げられてしまっています。選挙が本質的な選択にはならない大きな問題があると思います。短期長期の基本問題を選挙に関心のうすい層に訴えかけ、それが票に現れてこないかぎり、既得権益に基づいて必ず選挙に行く人による選択結果を変えることはできないでしょう。
 「今まさに困窮に直面している人」も「次世代へのつけの緩和を意識する人」も有権者全体の人数に比べて少数だと思われます。だから選挙では争点にならないようにみえます。しかし、その点が国をどんどんわるくしていく原因です。私はこの点が決定的に重要で、これが争点にならない限り変化は起こらないと考えています。すべての有権者にその意識を持ってもらうことは非常に困難かもしれないです。が、議論することは可能だと思います。社会構造の無論理的な強靱さに比べて、議論は相対的に論理性に配慮されるので、そこから始めてゆかないとどうにもならないように思うのです。政治がどうにもならないからあきらめる、あきらめたらどんどん悪くなる、この悪循環を断ちきるには、迂遠みえますが、議論から始めるほかないように思います。日本はそれほどしんどい状況だと感じています。

 もう少しつっこむと、現状をこのように改革してよくする、選挙ではそれをどうするか、という政策の各党間の比較が為されます。しかし、現実はどんどん悪くなって行き、それに対する不安、どうしよううもできないあきらめ、に満ちています。だから投票に行かないのです。悪くなって行くのはどうしてなのか、どうすればどんどん悪くなるのを少しでも抑えることができるのか、議論から始めるしかないのです。そんな後ろ向きな態度では票に結びつかないと普通は思うでしょうが、その不安が共有されているからこそ、高度経済政党時代の利権を守る勢力に打ち負かされて、客観的に状況が悪くなって行くのだと思います。どうするのか、定常型社会を提唱する広井良典氏の議論縮小社会研究会の議論などがあります。逆転の発想が共有されない限り政治が変わらない、そういうしんどい状況だと強調したいと思います。

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