菅首相退陣から始まる苦悩

 国体がいつまでも続く天皇制の歴史の観点からもみると、菅義偉氏の首相退陣は、短期的に現れる朝敵ないしは戦犯の役割を菅氏が担わされたという「つかの間のささやかな事件」に思えます。千代に八千代に苔の蒸すまで続くメタ空気としての天皇が表明したの憂慮(宮内庁長官会見)に沿ったも結果のひとつに見えます。かつて、昭和天皇が米国属国化を選択して、戦争を推進した重臣たちを裁判に委ねて国体を護持したとのそこまでの積極性は、今上天皇の憂慮には感じられませんが、結果的に、この憂慮表明は、菅氏を切って国体を継続させる「国体護持」に貢献したのではないでしょうか。
 菅氏の前の首相である安倍氏が、戦前東条英機内閣の商工大臣であったのに首相に復権した岸信介に倣い、この非常時(敗戦・コロナ禍)の政変の前後を連結する役割を演じることが可能だ、とすれば、平時は空気に依存していて、非常時にはメタ空気の天皇が(やむを得ず)出てきて永続性を保つという、「国体臣民構造」の強靱さを示すように感じられます。安倍氏は非常時コロナ敗戦の最大の戦犯ですから、この「国体臣民構造」が弱ければ、政変で最も断罪され政界から追放され(中国・韓国の権力闘争のように)、公職選挙法や公文書偽造などに関して刑事裁判の被告となることは、十分あり得る話です。ですが、安倍氏は岸信介がそうであったのと同じように、非常時を挟んで連続的に支配者でいることができるとの思うからこそ、暗躍できるのでしょう。
 肝心のところで押しの効かない枝野氏の対応は気になりますが、そういう個人資質を超えた深刻な国民意識の問題を考え込まざるを得ません。いっぺん現在の野党に政権を担当してもらったら、今よりマシじゃないか、この気持ちは大切だとは思うのですが、必ずしも、そういう展望を持てないようなあきらめに近い雰囲気は、国民の多くが感じているのではないでしょうか。
 この雰囲気を変化させて政権交代を行うには、今の政府がまったくもっていない「何が庶民にとってたいせつなことなのか」を示す哲学が必要だろうと、私は思っています。その哲学の具体的な中身は、山本太郎の辻説法、和田靜香氏と小川淳也氏の対話の書籍(「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた」左右社、2021)、あるいは、政策によって犠牲を強いられている辺野古を初めとする地域の方々の闘いから、ふつふつと出現してきており、さまざまな悪戦苦闘自体が政治に反映されないといけないでしょう。個人的には、これら多様な社会的闘いは、哲学的な理念に基盤的に支えられる必要があり、大学を中心として自然や社会の見方を議論し合う場が重要だと思っています。そうした息の長い国民の意識改革とは別に、野党は、目下の最大課題であるコロナ対策を具体例として、困っている人を支える政治を追求する姿勢を堅持して欲しいです。それが教育への改善、哲学構築、「国体臣民構造」の解体につながるベクトルになると思います。短期的動きと長期的哲学の両方が重要なのです。
 近々の総選挙では、菅氏の退陣で、野党には厳しい風が吹くとの辛い予想が飛び交っているようですが、それこそおかしな話です。安倍氏は、コロナ対策失敗、刑事訴追回避の黒川人事失敗などで、病気と称して逃亡し、訴追回避を追求して菅氏を後継にしたものの、菅氏は、コロナ対策を含む失敗を国会開催拒否で乗り切ろうとし、学術会議人事への不法な人事拒否による攻撃など、反国民的な政治しか行わず、だからこそ退陣に追い込まれたわけです。コロナ対策失敗・行政の一連の私物化による崩壊の責任を取るべき最大の首謀者が暗躍して、それを許すなど、常識では考えられないですが、それが「国体臣民構造」の具体的中身なのでしょう。たいへん深刻です。でもあきらめずにこれを解体するベクトルを前に進めるよう、野党に期待したいです。

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