維新とファシズム

 総選挙が終わりましたが、日本の現状認識を考えてみます。れいわ新選組の山本太郎さんは、今まさに貧困におちいっていたり、健康や人権を奪われていたりする困窮者の救済を財政再建よりも優先すべき状況にあると認識しているようです。また、立憲民主党で代表選挙に立候補しようとする小川淳也さんは、和田靜香さんと対談本をみると、現状の厳しさを直視しながら、少子化による人口減少高齢化がますます進む次世代の社会をどうやって構築してゆくかを考えているようです。世界的には、グレタ・トゥンベリさんなど若者が経済を優先することで地球環境を劣化させて政策に強く抗議をしています。

 さて、日本はこうした若者の抗議はあまり拡大していません。なぜかを考えると、若者は真面目に努力している、あるいは、努力させられていて、生活に苦しんでいる状況の中、環境劣化などの将来不安感は強いにもかかわらず、それに対して声を上げるのではなく、下手に現状に反発して動くと、ぎりぎり食べていけている現状が失われることを恐れている、そうした構図がみえてきます。たとい食べものも得られず困窮に直面している者でなくても、今後生活が苦しくなるだろうとの不安感をもっていて、困窮者の救済や将来のビジョンを変えるにはどうしたらいいか、そういう余裕がもてない屈折を感じます。

 自民党は、高度経済成長などを通じて成立してきた既得権益を死守する政策を掲げ、その権益によって経済的利益を得ている経済組織によって支えられています。したがって、若者は現状悪化をしないようにその政策にしがみつく投票選択をするか、経済組織に任せて棄権するか、意識的にこうした選択をしているのではないでしょうか。こうした若者を中心とした国民の屈折によって現在の自公連立政権が消極的に支持されているわけで、反対を唱えることが差し控えられている現状があるように思います。

 ところで、現在が苦しく将来が不安である場合、ますます生活が苦しくなることに対して、人間は生物の一種として現状を維持しようとするレジリエンスをもっているので、何とかがんばろうとします。しかし、「まわりからの圧力」が強すぎてがんばりきれないという最悪の事態におちいることもあります。これに対して、生活を今よりも少しでも良いようにしてあげる、という「まわりからのささやき」に対しては抵抗しにくく、それに乗っかりやすいです。選挙では浮動票を獲得するためにその党派間でその「ささやき」を競争することになります。なので、それぞれの個人が現在抱えている切羽詰まった問題や将来への不安をどう解決するかが真に重要なのに、それとは直接つながりにくいとしても「改善のささやき」を根拠に投票するしかない、という選択をすることになるでしょう。ここでの問題は、将来が不安で現状維持を消極的に選ぶしかない、と意識している人が、改善のささやき競争の中で、相対的に改善政策の実現可能性の比較により、政権党でない野党へ投票することはほとんどないだろういうことです。このささやき競争から政権交代は起きにくいと、私は思います。山本太郎さんや小川淳也さんに期待したいのですが、勢力拡大はなかなかむずかしいと言わざるを得ません。

 今回の選挙では、維新が大躍進しました。冨田宏治さんが維新について書いている論説を読んでみると、維新による「改善のささやき」の中身は、性格がかなり違います。みずからの税負担による福祉で支えられている弱者に不満をもつ「勝ち組」に対して、「身を切る改革」によって「弱者を切り捨てる」ことをささやいて票を獲得しようとするような傾向が確かにあるようです。ただ、私はこれに加えて、貧困に直面している層が、公務員や大企業の正規雇用者に対する正当な批判を、「いい目しやがって」とのえげつない妬みに組み替えて集票する戦略が奏功しているのだと考えています。かなり脱線しますが、大阪人のわたしは、東京弁に極端に敏感で、例えば、ドラマで関西弁を使う俳優が関西出身かどうかをアクセントで判断することができます。だから、アクセントの違う転校生は、不当にも、偉そうにしているなどとの理由でいじめられやすいです。無意識的にそういう気持ちが出るわけで、はっきり意識していないとすぐに妬みが生まれてしまいます。こうした大阪の風土を維新はうまく利用しているのだと私は思います。

 このように、山本太郎さんの言う切羽詰まった苦境の救済、小川淳也さんの考えている次世代の構想は、いずれも重要な視点ですが、「改善のささやき競争」の中で、野党に比して相対的に実現性の高い政権党に競り勝つことがむずかしいのに対し、多くの人たちが心の中にもっている不満・妬みの感情を利用することは、「改善のささやき競争」とは別の基準での集票力があります。ですから、既得権益死守の自民岩盤層と妬みに支えられる維新岩盤層との競争が今後成立してゆくことで、立憲民主党や日本共産党が消滅してゆくことが十分予想されます。既得権益を守る高年齢の岩盤層は徐々に死亡してゆきますが、これからの若年層は消極的支持者なので、自民党の票は減ってゆくのではないでしょうか。これに対して、政権党に投票する若年層は、自らの将来不安によって消極的に支持しているに過ぎないので、その不満が拡大してゆくことで、妬みを通じた維新支持が広がる可能性が高いように推測します。ある「しきい値」を超えて政権が交代することで、一気に、ファシズムが再来するかもしれません。戦後の歴史にさかのぼって考えてみましょう。

 日本では、第二次世界大戦で敗戦した1945年以降、マッカーサー司令官と昭和天皇の水面下の交渉をきっかけとして、大日本帝国ならびに米国の双方が日本とアジアの人々にもたらした甚大な被害の責任を不問にし、共産化を阻止してソ連・中国に抵抗する道を選びました。そのため、日本の人々・アジア各国の人々への加害責任は、政府によって検証されず、戦争の悲惨さはその被害を受けた人々の証言によって表現されただけでした。中国・韓国・北朝鮮をはじめとするアジア各国の政府は、日本の加害を攻撃することを国民団結に利用しましたが、日本政府は、これらを外圧として受け止めただけで、戦前のあやまちを国民に詳しく繰り返し教育することを徹底的に排除してきました。このきわめて不当な教育が、70年経過して、現在の政治状況にじんわりと反映されてきたようです。

 被害を受けた人が鬼籍にははいてゆくと、教育を維持しない限り、戦争のあやまちへの意識は共有されず、減少します。さすがに、国家の政策のいかんにかかわらず、滅私奉公することが国民たる自分の務めだ、と積極的に思う人はほとんどいないでしょう。でも、「国家のために滅私奉公する気概をもたず、既得権益を守ろうとする自己中心的な連中が社会を牛耳っているからこそ、みずからの生活が苦しく、将来が不安になるのだ」と考える人が増大する可能性は大いにあります。「どんなに苦しくても、将来が不安でも、戦前のような国家のあやまちを許してはならない」というような冷静な思考は、教育によらなければ、まず、育つことはないでしょう。

 教育から立て直す必要があるわけですが、それより先に、維新の拡大を阻止しつつ、自公から政権を奪取しないと実現できるはずがありません。マスメディアも政権党や維新を優先的に扱う状況なので、ネットメディアの役割がますます重要になると思います。また、大学などの高等教育のファシズムを意識した議論が必要になってくると思います。そこでの議論においては、MMTのような貧困救済でも、地球環境保全を意識した次世代生活の維持でも、入り口が違っていても、ファシズムによる国民の生活の完全破綻を招かない戦略について、意識的に議論する必要がありそうです。今「入り口」と書きましたが。これらは究極的な目標でもあります。しかし、それを実現してゆくためには、その前に、これをはばむ難物としてのファシズムがあると思います。また、山本太郎的な短期救済も、小川淳也的な次世代展望も、どちらかが重視というわけにはゆかないと思います。まさに悪戦苦闘しかないわけで、その悪戦苦闘を水の泡にするのがファシズムです。危機的な状況の中、政治は非常に重要な状況にあると結論づけたいと思います。

Follow me!

コメントを残す