国民に逆立する政治

 山本太郎氏の貧困救済や小川淳也氏の少子化人口減少の次世代の負担軽減に関するまっとうな短期長期の政策を実現することを期待したいです。それができない理由として、野党の作戦不足、メディアの自民党・維新への肩入れ、天皇を騙って民衆支配の復古を狙う日本会議問題、多数同調欲求などが挙げられるでしょうが、それはやはり上面で、もっと根本問題がありそうです。今回の選挙をみても、大敗した政党の批判が印象に残り、自民党の問題はスルーされ、結果的に、必ずしも多数だとは言えない日本会議の意図が実現方向に向かうようにみえます。
 ネトウヨなどの無知・無恥・無礼なが言説が目立ちますが、多数の国民は、堅実ひかえめで親切で、勤勉で優秀です。知識をもち、恥を知り、礼儀的な人が多数を占めます。しかし、同時に、政治対して、ひかえめであるか、無関心であるか、いずれにせよ、何らかの意見をもってもそれが受け入れられるという意識がどうしてももてない、つまり、できるだけ客観的に自己を見つめようとしたとき、この政治の部分は「偉い人にまかせるもので偉い人ではない普通人である自分には手が出ない」としか認識できない、そういう問題が基盤的にあるような気がします。
 例えば職人さんのように自らの仕事において実力と誇りをもつ人であっても、政治のことは難しいように思います。それはそのとおりでしょう。と言うのは、政治にはあまりにもたくさんのテーマがあり、すべてに見識をもつことなどまず不可能です。政治家という職人が考えてもらうしかない、と考えたとしても無理もないです。すべてのテーマに意見をもつことができないから、民主主義では、選挙で政治家を議会に送って議論してもらう、ということになっているのでしょうが、そもそも、多数のテーマにおいて自分にとって何が重要なテーマなのか、そのテーマにどのような意見をもつのか、これは知的に優秀な人物であったとしても、むずかしいことです。

 言いたいことは、国民に政治に参加意識をもってもらうための教育が日本では行われていないため、政党の作戦をどうたてるか、という発想だけでは、政治が国民のために為されることはないだろうということです。政治を無視した教育と国民のためにならない政治の悪循環を断つ事件は、明治以降、1945年の敗戦時にはたしかに行われたのでしょう。戦争放棄や農地解放や婦人参政権獲得などは、この事件がなかったら無理であったと思われます。日本国内の力関係では悪循環構造が断ち切られない本質があるから当然なのです。しかしながら、昭和天皇とマッカーサーの水面下の交渉、昭和天皇と岸信介などの反共救国を通じた米国属国化によって作られた路線は、日本国憲法に関する天皇と政府の微妙な対立関係を含みつつ、徐々に戦前への復活方向に進み、今回の選挙で、「必ずしも多数だとは言えない日本会議の意図が実現方向に向かう」ことが明確になったのだと思います。
 「悪循環による八方塞がり」が基盤にあることを認識しておく必要があると考えます。無知な人ではなく、十分に優秀な国民が国民の利益に反する政党に投票したり、棄権したりする、この点をきちんとふまえて議論することが重要でしょう。どうしたら打開できるのか、根本的には、教育から変えてゆくことが不可欠です。けれども短期的には、山本さんや小川さんには国会内外で、国民を政治に引きつける情熱を見せることが大事です。正当な議論がマスコミ、とりわけテレビでいやおうなく国民に伝わることが、誠実で優秀な国民と政治の距離を短くすると思います。この政治への関心が情熱に変わったとき、政治が変わる可能性があるからです。悪循環は安定した定常構造ですから、それを断つことはむずかしいです。しかし、永久に安定ではなく、シフトしてゆきます。放置すると、日本会議の方向に徐々にひきずられてゆきますが、思わぬところから違う変化も起こる可能性はあります。今はけっこう深刻な事態ですが、重要な打開局面でもあるように私は思います。

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