悪くなる一方の政治を見せられて

 岸田氏の人事を見て、ボールは国民に投げられたと思いました。これでは、安倍氏の思惑通りに流れるしかないでしょう。
 コロナ対策に必要な医療体制整備への怠慢、モリ・カケや恣意的人事による行政私物化、河井への資金供与による公正な選挙に対する妨害、虚偽答弁を繰り返し母国語を破壊して恥じない国会軽視、人口縮小化や地球環境への長期展望への無策、基地・沖縄にかかわる日米地位協定への改善に努力せずに突き進む対米従属、北朝鮮交渉断絶、ウラジミールとボクとは親友だと言って北方領土を差し上げたロシア外交、東アジアの安全への外交努力を避けた感情的な中韓蔑視、入管による移民虐待のさらなる促進、利権依存だけを重視したリニアや高速道路網などインフラ政策による自然破壊、「強靱な過疎と都市集中」を反省しない無謀な国土政策、菅氏になってからの学術会議弾圧等々、安倍・菅政権の数々の暴政に対して、岸田氏はそれを引き継いで今後同じ方針を全く反省せずに進めるということを、人事は明らかに示しています。
 さすがに、国民の多くは岸田政権を支持するとはいえないでしょうが、安倍氏は、そして岸田氏を含む自民党は、国民が自分たちが立ち上げた政権を総選挙で引きずりおろすまでの強い意志を示さない可能性が強いこと、今のまま進む政権以外には選択肢がないとあきらめるだろうことを確信しているようです。
 宮台真司さんの言う加速主義、つまり「泥船に乗っているが、中での椅子取りゲームはしても、沈めないようにする努力はしない」が選挙で明示されるならば、現実に泥船沈没しか先はありません。いまは、悪戦苦闘の努力をしても泥船沈没、すなわち、国民の安全な市民生活の存立が危ぶまれる時です。悪戦苦闘せざるを得ないと発言する石場茂氏は泥船の椅子を確保することもできません。和田靜香さんと小川淳也さんの対談本「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?」は悪戦苦闘を記述していると考えていいでしょう。私は、その危機をもっともっと国民に伝えてゆく必要があると思います。泥船を傍観するだけではだめだという当たり前の意識を持てないほど、国民は疲弊しています。泥船は浮いているように見えるけれどもそれは幻想で本当は既に沈没して浮いていないのかもしれません。、舟は泥船か木の舟かはわからないまでも再建しないといけないのだ、そういう意識が共有されて初めて反国民政権が引きずり下ろされるのではないか、と思います。
 国民の大多数は今後もっと悪くなることを気づいていると思います。かといって、自分ではどうしようもないことだ、どんどんひどい状態になってゆくとしても、手だてがないから目先でできることだけやる、これは自分も含めそういう感じになりますから、投票を通じて政治による改善は、はるか先の蜃気楼のような世界に位置づけられてしまいます。戦前の敗戦への道もあらがいがたいものでした。だんだんひどい目に遭ってゆくのは確かですが、自分がそれに抵抗できるとは思えない、これは戦前から続いています。日常でできることはがんばっているわけですが、結局、泥船沈没に行き着くしかない、という身も蓋もない敗北路線が感じられるわけです。日本ではこうしたあきらめがとくに強いようですが、大衆の日常はどの国でもそんなものでしょう。しかし、厳しいとしても、そこから先が問題なんではないでしょうか。
 そういう大衆の日常と非日常で縁遠い政治という関係が厳然とありながら、歴史は同じように動くわけではありません。現在の厄災を緩和して将来計画を指し示すことが求められます。それでもだめなら仕方がないですが、月並みですが、あきらめずに智惠を出し合うことが重要だろうと思います。泥船が沈没するまでになんとかできるかどうかはわかりませんが、悪戦苦闘しかないように思います。生物はすべて、子供・次の世代を保存しようとしていますが、わたしたちはどうでしょうか。次世代に引き継いでゆくような選択をしているのでしょうか。わたしは、社会の沈没を防ぐには、その選択肢を悪戦苦闘してつかんでゆく意識が共有されする必要があると考えています。先に記した書籍を読んで、小川淳也さんはこのように考えていると感じました。次世代への引き継ぎのためにするべきことは何か、をより若い世代に教え続けることが求められるでしょうが、それを重視しない刹那的な意識が共有される教育が為され、それが現在の政権を支えるという悪循環があります。これを断ち切るのは容易ではないですが、大学の教養教育は一つの大きな「はさみ」ではないか、と考えています。深く検討する価値はあるのじゃないか、今はそう思っています。

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