治水上重要な大雨のときには森林の保水力は限界に達するのか?

 
 わが国は近年、連続して広域にわたる大水害にみまわれています。人間活動の拡大による気候変動が進んでおり、それにともなう豪雨規模の増大にわたしたちが直面していると言わざるを得ません。こうした現状に対して、堤防やダムなどの土木的対策、命を守る避難対策が重要だということは誰でも理解できます。その一方、緑のダムの機能とも呼ばれている日本の山地をおおう森林の保水力は、大雨による水害に対しては無力だという発想もあります。森林の手入れや保全は減災に対して無関係なのでしょうか。そこで、森林でおおわれた山腹斜面における保水力について、簡潔にまとめることにしました。

乾燥土壌の保水力と湿潤土壌の保水力

 岡山市郊外にある森林総合研究所関西支所の2つの隣り合う山地小流域(竜ノ口山森林理水試験地の北谷と南谷、降雨量はほぼ同じとみなせます)に、台風による大雨があった際の降雨流量の観測結果(図1)を参考に、具体的に保水力について説明してゆきましょう。

図1 雨量が相等しい2つの山地小流域における、総雨量375mmの大雨の場合の、雨量と流量の時間変化

 流量は、単位流域面積あたりで表示されており、雨量強度を示す棒グラフは、雨水がいっさい貯留されずにそのまますべて一気に流出したと仮定したときの流量をも表現しています。初めのうち(9月8〜9日)はほとんど流量が増加しておらず、乾燥土壌の保水力の効果が示されています。10日頃から流量が増加し、11日午後になると、流量の規模は雨量の規模とほとんど同じになっています。しかし、流量の時間変化がならされており、湿潤土壌の保水力の効果が現れていることもわかります。また、よく見ると、南谷は、北谷に比べて流量の時間変化がなだらかでピークも低いので、湿潤土壌の保水力が南谷のほうが北谷より大きいことになります。

 森林斜面に大雨があった場合は、雨水のほとんどは乾いた土壌に浸み込み、土壌水分を大きくすることで貯留され、洪水をもたらすような流量は川に流れてきません。この貯留効果は広く知られており、これを「乾燥土壌の保水力」と呼ぶことにします。図1では、その効果は9月9日に典型的に現れており、雨があっても流量がわずかしか増加していません。雨が降り続き土壌が十分湿ってしまうと、図1の9月10日に見られるように、流量は急に大きくなります。そこで、9月11日午後以降に示される、洪水をもたらすような流量の規模が降雨規模とほぼ同じになると、森林の保水力が限界に達すると考えられるのではないか、と思われます。しかし、保水力の一部は引き続き発揮されることを強調たいと思います。これについて、図1の9月11日午後以降のグラフに示されている観測結果を基にして説明しましょう。

図2 大雨の場合の斜面の流出メカニズムのふたつのパターン

 多くの水文学の観測研究 によりますと、大雨によって土壌は湿りますが、土壌の間隙が100%飽和するのではないことがわかっています。土壌が湿っていることと地下水で飽和することとは違います。降り始めからの雨量が100mm、200mmとなってきますと、土壌層全体が湿潤になるのですが、地下水は土壌層内の水みちを通じて速やかに排水され、水面の上昇が抑えられて、湿潤土壌は飽和に近いけれども不飽和のまま残されます(別記事の図4の説明をご覧ください)。ここは重要なポイントです。
 大雨のときに土壌層が飽和したとしますと、図2Aのように、新たに降る雨水のすべてが地表を走って直接川に流れ込み、それが流量のピークを作り出すと考えられるでしょう。土壌を均質に詰めた人工斜面ではそういうこともあるのですが、森林でおおわれた斜面は、森林生態系がかかわって自然に作り出され、何百年もの間くずれずに安定を保っているので、人工斜面と異なり均質な構造にはならないのです(ココを参照ください)。その結果、図2Bのように、水みちによって地下水が排水され、土壌層内の鉛直方向への浸透が続きます。雨水の多くは土壌に浸み込むので、雨が降り出す前から貯留されていた土壌水を玉突きのように押し出します。こうした土壌層の中の流出機構が重要なことは、川に出てきて洪水流出のピークをもたらす水の大半が降雨前から土壌に貯留されていた水である、という観測結果からも実証されています。土壌層に浸透する水は、無降雨時にゆっくり流れてくると想像される方も多いかもしれませんが、洪水をもたらすような大きな流量も産み出すのです。森林の保水力を雨水が土壌に浸み込む能力(浸透能)では評価できない、少々ややこしいですが、このことにも注意してください。

 ここで重要な点は、雨水が土壌層を通ることで流量の時間変化がならされることを、きちんと理解することなのです。その理屈をご説明しましょう。台風や梅雨前線降雨によって十分大量の雨が降っているとき、さらに非常に激しい雨が降ったとします。川の流量の強度は、その雨の強さ(例えば10 mm/h)に流域面積(例えば20ha)を掛けた値よりは小さくなります。その理論的な根拠は土壌物理学(「飽和不飽和浸透流理論」と言います)に基づいており、次のような説明ができます。降雨中、雨が強くなると、その大きくなった水量を流すため、土壌はその中に含まれる水分量(体積含水率)を増加させなければなりません。逆に雨が弱くなると体積含水率は減少します。その結果、土壌内に貯留される水量の変動がクッションのようなはたらきをして、土壌層から流れ出す流量の時間変化は、はいってきた降雨の時間変動よりもなだらかになるのです。この大雨で湿潤になった土壌が示す流量をなだらかにしてピークを低くする効果を「湿潤土壌の保水力」と呼ぶことにします。図1では、9月11日午後以降の流量ピークが降雨強度よりも低くなっていることに現れています。また、南谷のピークが北谷よりも低くなっていて、湿潤土壌の保水力は、北谷よりも南谷の方が大きいことがわかります。決して保水力が限界に達してしまうわけではないのです。

緑のダムと人工ダム

 ところで、図1を見て、9月11日の流量ピークは雨量のピークよりも確かに低いけれども、その低下量はわずかだと感じた方もあるのではないでしょうか。そのとおり、森林土壌の保水力の効果を過大に評価することはできないのです。また、乾燥土壌及び湿潤土壌の保水力は、いずれも土壌層の存在が前提になって生じるものなので、山崩れがあると完全に失われます。実際、土壌層内の地下水が速やかに排水される限りは土壌層の安定が保たれるのですが、排水できずに地下水面が上昇してしまうと浮力が発生して(「地盤がゆるむ」と表現されることが多いです)、その時点でしばしば山崩れが起こってしまいます。斜面上の土壌層は、地質等によって異なるとはいえ、千年程度の時間スケールでは、一度は必ず崩壊するとみなければなりません。人工ダムの機能は、貯水池が満杯になったときに放流量を流入量と同じにする「異常洪水時防災操作(緊急放流)によって限界に達しますが、森林の保水力も決して過信すべきではない、これは強調したいと思います。

 とはいうものの、水源山地の斜面がすべて崩壊してしまうことはないので、流域全体でみると湿潤土壌の保水力が完全に消滅するわけではありません。ひとつの斜面の崩壊は滅多に起こらないのに土砂災害が毎年発生するのは、単に山地に斜面が多数存在するからです。急傾斜地崩壊危険箇所は全国で33万箇所ですが、斜面の数はさらにずっと多いのです。他方、人工ダムは、建設されてまだ百年も経過しませんが、多くの人々はその事実を忘れているのではないでしょうか。ダムの機能を数百年の時間スケールで維持させるためには、堆積土砂の除去やコンクリート劣化の修繕が必要になります。ですから、緑のダムが人工ダムよりも破壊されやすいと言うわけではありません。また、富士山など日本に多数存在する火山では、巨大噴火や山全体の崩壊が起こるので土壌の保水力どころではなくなりますし、そういう頻度の低い事態も考えたときには、人工ダムの地震や巨大地すべりによる決壊もあり得ます。地球の威力は本当におそろしいです。山地災害に対する堤防やダムなどのインフラ整備やいのちを守る避難対策、あるいは、森林管理計画や流域土地利用計画の原点は、同じ自然力を深く謙虚に認識するところにあります。
 湿潤土壌の保水力にしても、治水ダムの機能にしても、大雨の際は、土壌や貯水池の貯留変動によって、はいってくる水量よりも出てゆく水量の時間変化をなだらかにしてピークを下げる効果を発揮することになります。それ以上でもそれ以下でもないわけで、その意味では同じ効果ですから、どちらかの効果を低く評価すること自体は間違っています。しかし、両者の効果や限界、波及効果などを十分に理解することにより同じ土俵で話合うことは、複雑な利害関係の調整が必要な流域治水対策において、可能なことだし、非常に重要なことだと思います。

持続的な森林利用と水害防止との両立

 話を森林の機能に戻します。そもそも、大雨の際には、斜面の土壌層を崩して押し流そうとする強い侵食力が生じますが、それに耐えて森林生態系が長年の間繁栄できるのは、植物・動物・微生物かな成る多様な生物種の生命力(レジリエンス)がはたらくからです。その結果、斜面に土壌層が安定に保持され、乾燥土壌及び湿潤土壌の保水力が産み出されるのです。そのため、樹木の伐採は根を腐朽させて土壌層を崩れやすくします。とはいえ、地球全体での森林破壊を防ぐ観点からは、木材や紙その他の生活資材として使い続けていながら、海外の森林を伐採利用して日本の森林だけは伐採しないという、まさかそんな利己的な選択はできません。生物資源を利用しながら防災を図る、これはたへん悩ましい課題といえます。水害の減災のためには、治水工事や避難対策ももちろん重要ですが、樹木の成長に要する半世紀以上の時間スケールを考えて、豪雨規模増大につながる温暖化の進行を抑制し、森林資源の持続的利用と保全の両立を図るような、社会全体にまたがる抜本的な対策も不可欠です。水源山地の森林管理をも含む流域治水は、地球環境問題ともつながっているのです。