谷  誠

1.はじめに

 2018年は西日本,2019年は東日本で広域水害が連続発生したが,2020年はCovid-19による避難所の三密が危惧される中,球磨川・飛騨川・江の川などで氾濫が起き,防災設備の増強とその限界を認識した対策,双方のあり方が問われている.過去を顧みると,水害は一生に何度か経験するありふれた災害であり,原状復旧が繰り返されてきた.それに加えて,被害を減らす改良努力も古来より行われ1),堤防を高くするだけではなく,河道付け替えなどによって,水害発生頻度の高かった地域を住居や農地に変える事業も実施されてきた.例えば,大和川を淀川から切り離して大阪湾へ流す工事が1704年に実施され,東大阪の湿地が新田に開発された2).改良によって水害の発生頻度が低くなり,こうした自然改変の蓄積した風土を,われわれは自然だと信じて暮らしている3).現在でもこの伝統が受け継がれ,現状の河道では氾濫を招くような降雨では越流しないよう,改良目的の治水事業が河川法によって制度化されている.これは洪水防御計画と呼ばれ,河川整備基本方針によって基準地点での基本高水,すなわち長期的に目標とする流量を定めた上で,その値よりは小さいが現状よりは大きい20〜30年の工事で達成可能な計画流量を設定し,それを前提に河川整備が行われる4).例えばこれまで30年に1回程度の確率で越流していたとすると,70年に1回程度の確率でしか越流しないように,堤防のかさ上げ,河道の掘削,ダムの新設などを行う.ただ,この治水の改良主義は,河川整備が完成しても,さらに規模の大きい降雨があれば,越流による水害発生が防げないことをも意味している.

 さて,こうした治水事業は,水害発生頻度低下など,流域全体としてのメリットがあるからこそ,公的資金によって実施される.けれども,流域内には減災利益を受ける者の他に新しい河道やダムによって生活基盤の変化を強制される者も生じる.そのため,1997年の河川法改正においてはこの利害調整が重点的に議論された.これを指揮した建設省河川局長の尾田は,「流域の声が最も正確に総意として出てくるようにしたい.(中略)本当に決められるのか,との懸念も強い.しかしそこにこそ,これからの河川行政の立脚点がある」5)との当時の改正の意図を説明している.利害関係調整は治水における最大の課題なのだ.筆者は治水事業の重要性を深く認識するものであるが,利害調整の現状は十分ではないと考えている.そこで本稿では,水害を対象に科学と社会との相互関係について検討する.こうした科学の領域を超えた社会との関係は,最近,「超学際的」な活動として地球環境問題において重視されている6).加えて水害に関しては,それ以前に,科学内部にも「学際的」にみて未解決な課題も多く残されている.すなわち,水文学において観測とモデルの研究分野間にギャップがあるうえに,大雨時の水流出過程と,時間スケールがはるかに長い地形・土壌・生態系の発達過程との整合性に焦点をあてた学際研究が未発達である.そこで本稿では,学際と超学際の両観点から水害対策を考える.

 なお以下では,降雨条件や流域条件の流量に及ぼす影響という水文学を中心とした課題に焦点をあてる.しかし,越流しても破堤しないような強固な堤防の構築7),警戒避難体制の確立8)など,多様な研究活動や行政施策が水害対策において欠かせないことは,ここで強調しておきたい.

2.洪水流出に関する水文学研究の課題

 山地斜面に雨が降り始めると,土壌中に浸透して貯留されるが,やがて河川へ流出してその流量を増加させる.この降雨流出応答現象は,変動の激しい降雨強度の時間変動を流量のなだらかな変動に変化させる「波形変換システム」の機能をもつ.雨が止むと徐々に流量が低下し,数日すると変化の乏しい流れに落ち着いてくる.これを基底流量といい,その以前の変動の大きい流れを洪水流量という.流出応答は,いうまでもなく流域内での雨水が流れる流出機構によって生じる.だが意外にも,「どこでどのように決まるのか」この単純な問いに対する科学的な答えが専門家の間でも確定していない.この状況が,ダム建設を巡る国土交通省と住民の対立などの社会問題の原因のひとつにもなっている9).そこで,水害対策の議論にはいる前に,洪水流出に関する水文学の展開過程と残された課題をまとめておきたい.

 山地流域は河川(小渓流を含む)河道と斜面から成り,河道は流域面積が大きいほど長くなるが,斜面は数十メートル程度のものが多く,流域面積が大きくなっても数が増えるだけで長くはならない.河道の流れは早いため,長い距離であっても洪水流量の時間変化をほぼそのまま下流に伝える.これに反して,斜面で発生する土壌層内の地中流はもとより地表面流もまた,河道の流れに比べてたいへん遅い.そのため,1955年の末石10)の論文以来,斜面方向の流れが,水平距離が短いにもかかわらず,洪水流出応答,すなわち降雨波形に対する洪水流量波形の変換をもたらすとの考えが水文学の常識となってきた.

 さて,1980年代以降,主に海外の観測研究から,洪水流量期間の河川水を採取すると,降雨以前から土壌に貯留されていた水の割合が多いという結果が得られ,土壌層内の遅い地中流が洪水流量の素早い応答を産み出すのはなぜなのか,流出機構に関する国際的な議論が展開された11).こうした研究は地理学的視点に基づいており,斜面ごとの流出機構の多様性が重視される.これに対して,洪水対策に必要な工学的な流出モデル開発研究では,予測結果の一般性が必要とされる12).斜面の地形や地下構造が不均質であることによって生じる複雑な流出機構と,斜面方向への一様で単純な流れに基づく洪水流出応答モデルとの間に,明らかなコントラストが存在するといわざるを得ない.これは,現在でも水文学における解決しにくい課題のひとつとされてきた9).ところで,流出モデルの開発においては.物理的な流れをできるだけ尊重しようとする「分布型」モデルとは異なる研究の流れがあり,浴槽のような底に小さい孔の開いたタンクに概念化されるような,単純な「集中型」の流出モデルが提案されてきた.降雨から洪水流量への入出力変換は,これによってむしろうまくシミュレートできることがわかっている13).一般に,集中型モデルの基礎となる式は,タンクの貯留量Sと流量qの関係式で表される.国土交通省が治水事業において広く用いてきた貯留関数法14)の次の基礎式はその典型である.              

なお,数式の変数は単位流域面積あたりの量(水高といい,Sはmm,qはmm h-1の単位となる)で表現する.また,実際の浴槽の底孔からの排水はベルヌーイの定理によってp=2になるが,流出モデルではpの値が1以下になり,異なってくる.

                               (1)

 さて,複雑な流出メカニズムから産み出される洪水流出応答が,単純なモデルで表されるのはなぜなのか?水害対策に応用して本当に大丈夫なのか?こうした疑問は,水文学の専門家よりむしろ専門外の研究者や一般市民から提起されてきた.例えば,物理学者の冨永15)は,(1)式を水の運動に関する式となるはずなのに,国土交通省が洪水防御計画において,「降雨と流量の過去の観測結果に計算結果が合うように(1)式のパラメータpkの値を調整してきた」その運用姿勢を厳しく批判している.確かに,過去に例のない大規模な降雨に対する流量を,物理的根拠の曖昧なモデルで計算しても信頼性が劣る.ましてや,観測が未整備の流域では,パラメータの値の決定に必要なデータがなく,流量推定が不可能である.より流出機構をより反映したモデルなら改善できるのでは?と考えられやすいが,これまでのところ,シミュレーション結果が観測結果に合うようにパラメータ値を逆推定するという手法を回避することは困難であった.観測しないと予測ができない,これは,2003年から10年間,国際水文科学協会(IAHS)が「未観測流域での予測(PUB:Prediction in Ungauged Basins)」を最重要課題として掲げたほど16),水文学における根本的難問なのである.

3.鉛直浸透過程による洪水流量緩和

 筆者は,「洪水流出機構と流出モデルの間にみられる乖離の問題は,『降雨流出の波形変換が斜面方向の流れによるとの思い込み』から生じていて,それに先だつ土壌層の鉛直浸透流の役割を見直すべきではないか」という考えを約40年近く前から提起し15),解析を積み重ねてきた9). Tani et al.18)は,この検討を基に,「単純な貯留関数法が洪水流出応答をうまくシミュレートできる物理的根拠は,主に鉛直浸透流に基づく」との概念にとりまとめた.以下にその概要を説明する.

 無降雨が続くと,貯留水が基底流量と植物の蒸散によって減少し,土壌は乾燥する.なので.次の降雨があると,雨水は乾いた土壌のすきま(間隙)に毛管力によって保持されつつ,徐々に毛管力の弱いサイズの大きな間隙にも水が満たされて土壌が湿ってゆく.そうなると間隙内の水が互いに連結されて動きやすくなり,湿った領域が地表付近から深部方向に拡大する.水を通しにくい岩盤との境界付近まで湿ってしまうと,土壌層内に一時的な地下水が発生し,斜面方向に流れ始める.ということは,土壌層が深部まで湿るまでは降雨は土壌層に貯留されて,洪水流量が産み出されないことを意味する.この土壌層による雨水吸収は緑のダムの効果としてすでに共通認識になっており19),筆者は「乾燥土壌の保水力」と呼んでいる.

 土壌層全体が湿ると,雨水は土壌間隙内の水をピストンのように押し出すようになって,降雨強度の変動波形は土壌層底面に生じた地下水に速やかに伝わるようになる.水道の蛇口を数秒間開くことを考えていただきたい.そのとき,蛇口から出てくる水は水道管内にあった水であるが.その代わり入り口である水道局の貯水池にあった水が水道管内に移動する.水分子はわずかの距離を動くだけなのに,蛇口の開閉に対する応答は水の押し出しによって瞬間的に起こるのだ.ただし,土壌層の鉛直浸透においては,断面積の固定された水道管とは異なり,断面が変動する柔らかいゴムホースのように,流量の増減にともなって流路の貯留量も増減する.つまり、降雨が強くなると,これまで空であった土壌間隙にも水がはいって体積含水率(単位体積の土壌に含まれる水の体積)が増加し,降雨が弱くなると含水率が低下する.降雨強度のはげしい変動が土壌層内部の含水率を積分した貯留量変動によって吸収され,土壌層から一時的地下水への排水量の変動が降雨強度の変動に比べてなだらかになる.以上のように,土壌の鉛直浸透過程では,貯留変動をともなうため,伝達は速やかではあっても時間変動を滑らかにする波形変換効果が現れ,流量のピーク強度が降雨のピーク強度よりも低くなるのだ.この効果を筆者は「湿潤土壌の保水力」と呼ぶことにしている.

 これら2種類の土壌の保水力は,貯留関数法14)では,降雨の有効降雨への配分,有効降雨から洪水流量への時間変化の変換としてうまく表現されている.まず前者であるが,貯留関数法においては,「累加雨量が小さい場合には降雨の一部しか洪水流量に寄与しない」とされ,乾燥土壌の保水力に対応している.また,「累加雨量が飽和雨量に達すると降雨のほとんどすべてが洪水流量に配分され,有効降雨となる」とされ,これは乾燥土壌の保水力が限界に達することを意味している.

一方,湿潤土壌の保水力は次のように説明される.すなわち,流量強度q は,(1)式と次の水収支式(水の質量保存則)を連立して計算される.

                                                             (2)

浴槽のたとえで言えば,有効降雨強度reは水道栓からの流入量,Sは水深,qは底の孔からの排水量に相当する.水道管のように断面が固定されているとSが変化できず左辺はつねにゼロであるから,q=reとなって降雨変動がそのまま流量変動になり,波形変換は生じない.しかし,貯留変動をともなう場合は, (2)式を変形すると,

                                                          (3)

となるから,右辺分母の貯留量変動と流量変動の比が大きいほど(浴槽でいえば底の孔が小さいほど),qの増加減少速度であるdq/dtが小さく,qの変動がなだらかになって,ピーク流量が低くなる.その効果の根拠は,先に説明した湿潤土壌層での鉛直浸透過程に求められる.なお,(1)式は鉛直浸透の理論式から得られる結果を単に近似したものに過ぎないから,冨永15)が推測しているような運動の式としての意味はないし,従来の研究で指摘された,地表面流の運動則(マニング則)に基づくp=0.6の固定値20)も受け入れにくい.

 以上,洪水流出応答が貯留関数法で表現できる根拠が鉛直浸透過程にあることを説明してきた.しかし,これは,大雨期間であっても土壌層内に発生する地中流がパイプのような水みちを通って速やかに排水されることが前提となる.もし斜面土壌層の物理性が均質であれば,そうはならない.では,どちらが現実的なのだろうか.降雨があると,均質な土壌の中に発生する地中流の断面積あたりの流量は,開水路に比べて1000分の1以下できわめて小さい.したがって,山ひだなどの水の集まる場所では,大雨期間に地下水面が上昇するか否かは,水みちがあるかどうかによって大きく異なる.地下水面の上昇が抑制されれば,水面より上側での鉛直浸透が維持されやすい9)

 山地斜面では,基岩が風化して生成される土は雨水侵食によっていつかは下流に輸送されるが,森林の根の補強によって土壌層が発達する.そのため,土壌層は数百年のスケールで維持された後に崩壊することを繰り返している21).ただし,根は地表面付近に集中して深部はまばらになる.それゆえ,大雨で地中流の水面が地表まで上昇するとその浮力によって土壌層はすべりに抵抗できず崩壊してしまう22).したがって,土壌層が厚さを増して発達するためには,水みちによる地下水の効率的な排水が必要条件になる.このことは,降雨規模が大きいか,水みちがつまるなどによって排水できず水面が上昇することが崩壊発生の誘因,つまり必要条件となることをも意味している23).したがって,水みちによる排水をともなう流出機構と斜面土壌層の発達・崩壊の繰り返しとは,時間スケールが極端に異なるが相互依存関係にあって,互いの整合性が保たれているはずである.この整合性を実証すること,これは重要な学際的課題として研究が始まっている21)

4.ダムと緑のダムの効果

 さて,筆者の考えているように,土壌層の鉛直浸透過程が洪水流出応答を主に決めるのであれば,斜面土壌層の厚さや土壌の物理的性質(砂質か粘土質かなど)が洪水流出に及ぼす影響が検討できるはずである.そこで,土壌の保水力である「緑のダム」を人工ダムの効果と比較してみよう.

 もし,流域平均の降雨強度に流域面積を掛けた流量強度がそのまま川を流れるのであれば,緑のダムの効果が全くはたらかないことになる.そこで,この「効果ゼロ」を基準にとって洪水流量の緩和効果を評価することができる.湿潤土壌の保水力は,「土壌層の貯留量の変動によって,斜面から出てゆく流量の時間変動を斜面に降る雨量の時間変動よりもなだらかにしてピーク流量を低くする」ことなので,土壌貯留量変動が流量緩和をもたらす.これに対して人工ダムの効果は,「貯水池の貯留量の変動によって,ダムからの放流量の時間変動を流入量の時間変動よりもなだらかにしてピーク流量を低くする」ことなので,貯水池の貯留量変動が流量緩和をもたらす.したがって,両者は,入力変動を貯留量変動によって吸収して出力変動をなだらかにするという点で,類似の入出力の波形変換システムである.ところが,最近出版された緑のダムに関する書物19)をみても,乾燥土壌の保水力が限界に達することで湿潤土壌の保水力を否定するという,両者の効果の混同がみられる.累加雨量が飽和雨量を超えるような大雨であっても,湿潤土壌の保水力が持続することが理解されていない.

 もちろん,湿潤土壌の保水力も土壌層があることで発揮されるわけだから,土壌層が崩壊した時点で消滅する.だが,ひとつの斜面の崩壊は数百年以上経過しないと発生しないから,流域全体で効果が消失することはない.ただ注意すべきことは,土壌層は崩壊後長期間かけて厚くなるので,樹木が成長する数十年は,土壌層発達には短すぎることである.逆に,森林が伐採後再生しない場合は徐々に侵食崩壊が進行して土壌層がうすくなるおそれは十分想定できる.したがって,林野庁が唱えている「森林整備」は,洪水緩和効果をますます大きくするとまでは言いがたく,土壌層の効果が失われないよう維持するために必要だと言わなくてはならない.

 一方,人工ダムは設置されて百年程度しか経過しておらず,数百年の時間スケールで貯留効果を維持させるためには,堆積土砂の除去やコンクリート劣化の修繕など長期管理が不可欠である.また,数百年の間には大雨が何度もあり,貯水量が限界を超えてダムが決壊する事態を避けるため,流入量と放出量を同じにする緊急放流操作をしなければならない.そのたびに河川管理者には操作責任が厳しく問われる.また,土壌の保水力は山地源流域全体に分散しているのに対して,ダムの貯留効果は下流に離れてゆくほど小さくなるため,滋賀県のダムと淀川下流の大阪府の関係にみるように,上流下流の利害対立を産みやすい問題もある.いやしくも,山が成熟した広葉樹林におおわれているとか,ダムが新設されたというような事実をもって,水害が起こらないかのような誇大な妄想を決して抱いてはならない.

5.降雨・流域条件のシフト変化のもたらす水害対策のむずかしさ

 洪水流出応答に関する科学的な知見の現状を説明してきたが,これを水害対策にどのように活かすかは,さらに別途議論すべき課題である.洪水防御計画では,過去の記録から計画降雨規模を決めてそれを入力に貯留関数法などの流出モデルで流量を計算するが,その降雨規模を何年の超過確率で与えるかは,流域社会の重要度や予算規模に依存し,水文学の守備範囲を超える.また,過去の降雨記録から超過確率を決めるのだが,現在進行中の気候変動・海水温上昇にともなう降雨規模拡大によって降雨条件の定常性が前提にできず,過去のデータで得た超過確率が将来に適用できなくなっている24)

 緑のダムとして機能する流域条件についても現状からの変化に関する類似した課題がある.森林は,燃料や生活資材全般に利用されていた1960年代以前に比べ,利用されず放置されてきたため,樹木が成長して「森林飽和」に近づいている25).洪水防御計画はこれを前提としているのだが26),林業の厳しい社会環境27)によって将来も森林が維持されるかどうかは怪しい.実際,南九州などでは,成長したスギ・ヒノキ人工林を伐採して販売しながら植林しない放棄地が民有林に広がっている28).また,国有林を民間に伐採委託し,植林と長期の手入れを義務づけない法律改正が2019年に強行された29).林業は,苗を植えて以降,シカ食害を防ぐフェンスの設置,除草・除伐・間伐などが必要で,収入が得られるのが半世紀先という,根気の要る産業である.伐採後放置した場合,根が腐朽してゆき,土壌の侵食・崩壊が加速して徐々に土壌層を失う恐れが大きい.そうなれば,鉛直浸透を通じた洪水流量緩和効果の減少が生じるだろう.さらに,農地・宅地などの森林以外の流域条件も現況が維持されなければ,これも洪水流量を大きくする原因となりかねない.

 要するに,降雨条件にしても流域条件にしても,今後シフト変化してゆく可能性があり,それらは温暖化,森林利用,土地利用計画など,すべて,人間活動に原因がある.それゆえ,降雨条件や流域条件が過去と同じであるという,定常性を前提とする現在の洪水防御計画は,速やかに見直さなければならないだろう.

6.超学際的な観点からの現状維持の重要性

 水害発生はいわば急性疾患であり,河道での防災設備工事の水害対策が治癒にあたるとの説明はわかりやすい.しかし,河川整備が「聖域化」してしまい,流域の多様な社会の営みに基づく利害対立を押し切ってしまったとしたら問題である.水害は,堤防をかさ上げしてもダムを新設しても皆無にはならない,慢性疾患的な性格をもつからである.2020年のCoviid-19禍で実感されたように,感染症もいつまた起こるかわからないし,気候温暖化も今後長期に持続し,慢性的で厄介な問題である.これらの厄災に共通するのは,地球と生物と人間の相互作用に由来していることである9).そして,人間よりも生態系,生態系よりも地球の方がより活動が持続的で強力なため,人間社会は地球・生態系からの強制力をどうしても避けることができない30).筆者は、このことが慢性的な厄災に関する対策の議論において、出発点になければならないと考えている.

 では水害対策をいったいどうすべきかということになるが,現時点での流域社会の生活・産業の日常性の維持を尊重することで,河道対策と河道外の流域対策を比較検討することが必要だと,筆者は考えている.はじめに説明したように,洪水防御計画は,現状で流せる流量よりも大きな流量を流す「改良」を目的としている.しかし,気候変動にともなう降雨規模や水源山地の森林劣化などの持続的な変化があり,それは河川管理の責任に帰することのできない問題である.また,上流域中山間地の過疎や下流都市の過密化もまた,河川管理に直接責任がない.だが,日本政府は,「自然・社会の環境が変化しているから国土の強靱化を進める」との単眼的な妄想にとらわれている31).ダムや高規格堤防(スーパー堤防)が重視されると,巨大なグレーインフラに満ちた住みにくい街や強靱な過疎地を誘導する.それでもかまわないと強弁するなら,政府は国民にいったい何の将来展望を提示できるのだろうか.

 水害対策の慢性疾患性を軽減するには,科学研究で得られた成果を社会に適用するだけではなく,流域内での利害対立に代表される諸問題を科学内に取り込んで分析するとともに,さらに,両者を常にフィードバックするような「超学際的な活動」がどうしても必要である.筆者は,「改良主義」をさしあたり括弧に入れ,河川河道が今後も現状の流量を流せるようにするにはどうしたらいいのかを,複眼的な視点によって議論することが重要だと考える.あえてこの原則を置くことで,温暖化の抑制,森林管理,農村と都市の産業や生活のあり方などを同じ土俵に乗せて比較し,流域社会の望ましいあり方を検討できると考えるからだ.また,改良ではない維持を目的とした流域管理のためには何をすべきかを議論することから,非常に広い科学内部の検討課題が見いだされるだろう.堤防を強化して越流しても破堤しないようにする7),水源の森林状態を劣化しないようにする,氾濫しそうな場所の土地利用を見直す,温暖化による降雨規模拡大にブレーキかける,こうした検討を行ってもどうしてもダムを作らざるを得ない,など,対策ひとつひとつの効果を比較検討することが現実的な課題となる.こうした複眼的な対策は河川工学専門家からも提案されており32),はじめに引用した「流域の声の総意の実現」5)も,こうしてはじめて実現するのではないだろうか.

7.おわりに

 「改良主義」は,河川整備ばかりではなく,森林整備や経済政策一般でも好まれ,「現状維持」は嫌われる.温暖化など個別行政に責任のない原因を「まくらことば」に掲げて「改良」の必要性を唱えてはじめて財務省と予算折衝ができ,政治家もその口利きによって選挙が戦えるからである.しかし,皆無にできない水害の対策に関する論議の深化が,改良主義によって阻害されてきたと筆者は考えており,本稿では,河川河道以外の流域の広がりにおける超学際的な水害対策の必要性を強調した.さらにそれ以前に,降雨条件から流量を計算する流出モデルに問題があり,流域条件の洪水流出応答に対する物理的根拠を与えられないという,科学の側にも未解決の課題が残されていることも指摘した.観測とモデルの統合化,短期的な洪水流出過程と長期的な土壌層発達過程の整合性検討など,学際的な研究の展開も必要なのだ.この学際的研究は,超学際的活動と相互連動し合って展開してゆくことができるだろう.なぜなら,河川の洪水流量の現状維持を図る超学際的活動を推進するには,どの条件の影響感度が高いのか,何が対策として現実的なのかを比較検討するため,学際的研究の成果が必要だからである.断っておくが,われわれが暮らす風土は人間による改良努力の蓄積だから,「改良が良くない」と主張しているのではない.現状維持の困難に直面してもただただ改良を唱える頑迷さに疑問を呈しているのだ.

 社会応用を想定して研究が行われる科学分野には,行政施策を支える役割があるのは事実である.しかし,従来施策は巨大な慣性力を持って拡大再生産されるから,将来を見据えて現状を批判するような研究は,正論だとしても非現実的に見えてしまう.その結果,「河川ムラ」「林野ムラ」などの学者タコツボを作り,泥船に相乗りして国の将来を誤る.つねにこの弊害を警戒し,研究と社会の関係を批判的に点検する「超学際的活動」こそ,真の改良につながる道なのではないだろうか.

参考文献

1) 高橋裕(1971)『国土の変貌と水害』岩波書店.

2) 長尾武(2019)「大和川付け替え反対訴状添付絵図に見る旧大和川水系と付け替え反対理由」『歴史都市防災論文集』13,pp.229-236.

3) 古島敏雄(1967)『土地に刻まれた歴史』岩波書店.

4) 国土交通省(2020)『河川整備基本方針・河川整備計画について』.

5) 尾田栄章(2007)「河川法改正から十年」『River Front』 59,pp.2-5.

6) 谷口真人(2018)「水文学の課題と未来:学際研究と超学際研究の視点から」『日本水文科学会誌』48(2),pp.133-146.

7)石崎勝義 (2016)堤防をめぐる不都合な真実 -なぜ2015年鬼怒川堤防決壊は起きたか?『科学』89,pp.1091-1114.  

8) 牛山素行(2008)『豪雨の災害情報学』古今書院.

9) 谷誠(2016)『水と土と森の科学』京大出版.

10) 末石冨太郎(1955)「特性曲線法による出水解析について -雨水の流出現象に関する水理学的研究(第2報)」『土木学会論文集』29,pp.74-87. 

11) McDonnell, J. J. (1990) “A Rationale for old water discharge through macropores in a steep, humid catchment”, Water Resources Research, 26, pp. 2821-2832.

12)  椎葉充晴・立川康人・市川温(2013)『水文学 水工計画学』京大出版.

13) 菅原正巳(1972)『流出解析法』共立出版.

14) 木村俊晃(1975)『貯留関数法』河鍋書店.

15) 冨永靖徳(2013)「貯留関数法の魔術 -ダム事業を根拠付けるデータの非科学性」『科学』83,pp.268-273.

16) Hrachowitz, M. et al. (2013) “A decade of Predictions in Ungauged Basins (PUB) – a review”, Hydrological Sciences Journal, 58, pp.1198-1254.

17) 谷誠(1985)「山地流域の流出特性を考慮した一次元鉛直不飽和浸透流の解析」『日本林学会誌』67,pp.449-460.

18)  Tani, M., Matsushi, Y., Sayama, T., Sidle, R. C., Kojima, N. (2020) “Characterization of vertical unsaturated flow reveals why storm runoff responses can be simulated by simple runoff-storage relationship models”, Journal of Hydrology, 588, 124982.

19) 虫明功臣・太田猛彦(2019)『ダムと緑のダム 凶暴化する水災害に挑む流域マネジメント』日経BP.

20) 藤田睦博(1980)「斜面長の変動を考慮した貯留関数法に関する研究」『土木学会論文報告集』314,pp.

21)松四雄騎・外山真・松崎浩之・千木良雅弘(2016)「土層の生成および輸送速度の決定と土層発達シミュレーションに基づく表層崩壊の発生場および崩土量の予測」『地形』37(4),pp.427-453.

22) Milledge, D. G., Bellugi, D., McKean, J. A., Densmore, A. L., Dietrich, W. E. (2014) “A multidimensional stability model for predicting shallow landslide size and shape across landscapes”, Journal of Geophysical Research: Earth Surface, 119, 2481-2504.

23) Montgomery, D. R., Schmidt, K. M., Dietrich, W. E., Kean, M. (2009) “Instrumental record of debris flow initiation during natural rainfall: Implications for modeling slope stability”, Journal of Geophysical Research, 114, F01031.

24) 日本学術会議(2008)『地球環境の変化に伴う水災害への適応』.

25) 太田猛彦(2012)『森林飽和』NHK出版.

26) 吉谷純一(2004)「「緑のダム」議論は何が問題か-土木工学の視点から」蔵治光一郎・保屋野初子編『緑のダム』築地書館.

27) 田中淳夫(2019)『絶望の林業』新泉社.

28) 谷誠・玉井幸治・鶴田健二・野口正二(2017)「日本森林学会企画シンポジウム報告「収穫期を迎えた人工林における資源循環利用と水土保全との両立」」『森林科学』80,42-45.

29) 西岡千史(2019)「トランプ接待外交の裏で安倍政権がひた隠す「密約」と「国有林売却法」」『AERA.dot』https://dot.asahi.com/dot/2019052900074.html?

30) 谷誠(2020)「現代における科学研究の優先性に関する考察」『縮小社会』5,206-268.

31) 太田敏之・唐澤仁士・岡安徹也・佐古俊介(2014)「河川分野における国土強靱化の取り組み」『JICE REPORT』26,pp.44-51.

32) 大熊孝(2020)『洪水と水害をとらえなおす』農文協.