国交省のダムに関する考え方

 X(ツイッター)で、次のようなご質問をいただきました。「国交省の方はダムで洪水が防げる、または洪水軽減の効果が大きいと思っているのでしょうか。 それとも大した効果はないけど、ダムを作りたい、ということなのでしょうか。 どうしてもここがわかりません。」この点を「矛盾の水害対策」に書いた内容を基に考えてみたいと思います。

 この本(詳細)では、自然災害が皆無にではできないと強調していますが、国交省も同じように考えています。だからこそ、流域治水を掲げて国民の協力を求めているのです。ため池地帯では、昔から、ため池があってはじめて水田でお米を作れるわけですが、どんな厳しい日照りでも渇水害を受けずにお米を平年と同じようには作れません。水害でも同様で、堤防があるからこそ、川そばを家や水田として利用できるのですが、極端な大雨があると水害が起こります。ですから、ため池や堤防などのインフラの維持修繕は非常に大切で、人間が生きてゆくうえでかかせません。
 国交省の方は河川工学の専門家ですから、どんな大雨でも日照りであっても被害がないようにすることは不可能だということは前提として熟知しておられます(3.8節参照)。しかし、対策のための治水事業では、川を氾濫なく流せる工事の目標流量を決めることが定められていますので、すでにこの点に「水害対策の矛盾」が存在します。
 堤防のかさ上げや浚渫やダム建設によって目標が達成された場合でも水害が起こることは自明です。ですから、現実に水害が起こって水害裁判で被害者から責任を訴えられた場合、論理的にその訴えを退けることはむずかしいことになります。天災か人災かが争われるのですが、「だれがどう見ても人災だ」というような場合であってさえも、「何とか責任を回避する」理屈を必死で作り出そうとしてきました。本書では第1章で「大東水害」を取り上げていますが、国が被告となる訴訟で負けないようにする事務を担う法務省訟務局に相談しながら全力を挙げ、国交省は、最高裁で「巌(いわお)のような判決」を勝ち取りました。国交省は、裁判に負けてしまうと、治水事業がスムーズにできなくなるので、全力を挙げて何重にも防衛ラインを構築し、水害対策における本質的な矛盾が表に出ないようにしてきたわけです(第2章参照)。

 ご質問の「ダムの効果が大きいと考えているのか、大した効果はないけれどもダムを作りたいのか、どちらか」に戻りますと、「ダムの効果は限定的だと考えている」というのが答えになると思います。「大したことはない」と言い直してもいいでしょう。だからこそ皮肉なことに、「ダムの効果が大きい、大雨時の被害が減る」と国民に言わざるを得ないのです。矛盾があるからこそ論理的に無理なことを主張しなければならない事態を、きちんとご理解いただきたいと思います。
 科学的には、ダムであろうと堤防であろうと川床さらえであろうと河口堰であろうと、「効果はあるがそれは無限ではない」のは当然で、別に国交省の方でなくても、誰が考えても、あたりまえのことです。だからこそ、国交省は水害被害を受ける国民との間で対立が続くのです。大雨の規模が温暖化の為に拡大し、流域治水で国民の協力を求めるのですが、その前に国交省自身が改めるべきことがあるのです。

 国交省を擁護しますと、河川官僚は、ダムの効果が限定的だということをよくよく知っているので、本書では、1990年頃に河川局長を務めた方々の悩みについても言及しています(2.6、2.7節など参照)。竹村公太郎さんは、ダムの環境面での問題点を多数挙げていますし、尾田栄章さんは、住民の意見が百家争鳴になろうともとことん聞くべきだと主張しています。ですが、この真摯な姿勢にかかわらず、残念ながら、本書で詳しく述べているように、「治水工事は基本高水などの目標流量を達成すること」であると定められている以上、矛盾は解消されません。あまつさえ、安倍政権以降、河川局長以下の河川官僚はその矛盾を無視しようとしてきました。つまり、住民の意見を聞かずに目標流量を達成する事業のあり方への反省がみられなくなって、対立を生み出す構造がより悪くなってきたのです。
 河川局長OBの足立敏之参議院議員(自民党)は、国会での質問を行ったり、各種の公共事業への予算増額運動に参加して、「ダムの効果が大きい」と宣伝して回っています(ホームページインタビュー参照)。「多くの反対があろうとも、その訴えは絶対聞かない」意固地な行政になってしまったのです。辺野古、原発ゴミ、万博・IRすべて同様だと言わざるを得ません。

 まとめますと、基本高水流量などを設定した水害対策のための治水事業には、水害が皆無にはできないという国交省の技術官僚もきちんと理解している本質が反映されていません。この矛盾が国と国民との対立を生み出しています。加えて、「御用聞き政治家(二階元幹事長が典型:政治家はカルト宗教であろうと誰であろうと利益を与えてくれる人に対して毎度ありがとうという商売人と同じ)」が公共事業の推進を選挙の票をかき集める道具として必要とし、その実行を国交省が担うという「政治・行政・既得利権の癒着構造」が堅固であるため、「ダムが水害をなくす」というような非論理的なキャンペーンが繰り広げられるのです。