統一教会の日本社会への影響

1.統一教会問題の背景としての朝鮮支配

 「韓国との関係が良くない自民党政権が日本を敵視する韓国カルトと癒着してきたのはなぜか?」と言う素朴な疑問が提起されている。この表裏矛盾した構造がなぜ破綻せず長期にわたって成立し続けるのか、考えてみたい。

 大日本帝国が1910年に植民地とした朝鮮の人々への日本人の差別意識は、1923年の関東大震災時の朝鮮人虐殺事件を引き起こした。さらに戦争中には多くの朝鮮人を朝鮮国内および日本に、帝国の政策に基づいて徴用した。日本に対する恨みに満ちた感情を朝鮮人にもたらしたのは、こうした歴史的事実の必然的な結果である。日本の戦後においては、大日本帝国の支配において何が問題であったのかを総括してその責任を明確にすることはなく、国民教育でその歴史を整理して国民に教育されることもなかった。むしろ戦前に起こった事実の検討を行う作業を自虐史観として否定する言論もみられる。そのため、現在も恨みと差別と言う対立的な感情が、日本と朝鮮の人々の間に持続してしまった。

 この戦前の総括ができていない日本の問題は、統一教会の「朝鮮人に被害をもたらした日本人は、自己の財産と意思をすべて文鮮明教祖に捧げ贖罪すべし」という荒唐無稽な教義が日本人に甚大な被害を与えた現実に反映されている。もし、日本の政権が戦前の帝国の朝鮮支配を点検総括し、朝鮮人に被害を与えた責任を明確にしていたなら、仮にこの教義に基づく霊感商法・多額献金の被害を受ける日本人があったとしても、被害を把握した日本の政権は韓国の政権と協力して統一教会問題に一致して取り組みかつ文鮮明を犯罪者として訴追し、共同で問題解決ができたのではないだろうか。しかし、岸信介は、戦後の対米従属路線の基盤のひとつである「反共」の観点に基づき、日本人への復讐を真の目的とする文鮮明を排除せず、むしろ統一教会と結び付くみちを選んだ。結果的に、表面的には韓国政権と対立し朝鮮人に対する差別感情を維持しながら、裏では統一教会と癒着を深めるという、きわめてゆがんだ構造が形成され、その構造が今に続いている。

 岸は1984年に米国レーガン大統領に脱税容疑で実刑収監されていた文鮮明の釈放の嘆願書を秘かに送っている。この事実は、岸が国民支配のために統一教会を利用しようとした証拠として重要な意義を持つ。エバ国家の天皇をひざまずかせることで帝国支配への復讐を果たし、それを足掛かりに世界を征服しようとする欲求に凝り固まった文鮮明は、現実に、日本人からの多額献金を元手に世界中でビジネスを展開し、南米などでは政権への影響を強めていった。この経過を許した日本の政権は、このカルト教団に癒着しているにとどまらず、残念ながら、このカルトの支配下に置かれたものと認識せざるを得ないように思われる。

2.日本の戦後史における国民支配

 ヨーロッパのように、民族意識が強い集団が国家を作り、近隣の国家と対立して戦争を繰り返してきた歴史においては、一国の政権は国内の人々とともに敵国と戦って勝利し、可能ならば、領土をもぎ取って国家の空間的範囲を拡大すること、こうした方針が国民統治として有効であった。ロシアによるウクライナ侵攻もこの伝統を受け継いでいるように思われる。ところが、海に囲まれて隣国と国境を接しない島国の日本では、天皇が継続的な権威として1500年以上君臨し、ヨーロッパに類似した多数の小国が割拠する戦国時代であってさえ、天皇の承認のもとに関白や征夷大将軍として公的に天皇の元の官職として権威づけられることが支配正当化の前提条件とされてきた。したがって、政権にとっての優先事項は、ヨーロッパなら隣国に対する勝利であるのに対し、日本では天皇の権威をわがものにし、国民支配を正当化することだと考えられる。

 昭和天皇の人間宣言や対米交渉による戦後の国体維持行動は、こうした日本の伝統に沿うものであったため、日本人に矛盾として指弾されず、むしろ尊敬すべきポジティブな行動として受容された。戦前の大日本帝国では、ヨーロッパと同様の「敵国との紛争に勝利するために必要な国民支配」と日本特有の「天皇によって公的に権威づけられた政権による国民支配」が矛盾なく重なり合い、他国を侵略する戦争を正当化させてきた。しかし、戦後になって前者による国民支配原理は米国の命じるところに従って消滅した。後者の原理だけが残存し、白井聡の言うように、公的な権威としての国体が天皇から米国に移行した。天皇は、国民に対する権威を維持することができ、それは憲法によって国民統合の象徴として公的に保証されたから、その保証を与えた米国によって国民が支配される構造を積極的に肯定・推進する役割を担うようになった。昭和天皇の訪米前後の記者会見での「米国に対する戦後復興への深い感謝」と「原爆はやむを得なかった」との意思表明は、天皇が米国の属国となることを国民統合の象徴として宣言した「天皇の真意」と言えるだろう。

 戦後日本においては、こうした対米従属が基盤であったが、そのうえに、大日本帝国によるアジア諸国に対する虐殺を含む侵略の評価に関しては、互いに相容れないふたつの考え方が乗っかっていたように思われる。ひとつは、先の大戦の反省を軸に置き憲法を遵守する上皇の立場であり、もうひとつは大日本帝国憲法に親和的な岸信介の流れをくむ清和会=安倍派の立場である。憲法を遵守することこそが天皇の戦争責任を免罪し、その権威を維持する根拠となっていることを正確に認識している上皇は、全霊をかけてその役割を全うした。他方、自民党においては、対米従属と経済成長を重視する主張は共有されていたが、中国や韓国との外交関係を改善し、かつ人権無視の戦前回帰に批判的な上皇に近い考えもあって、中国や韓国に敵対的で戦後回帰を希求する清和会を牽制してきた。この自民党内対立の中にあって、人権重視を主張して政権に反対する国民を支配する目的を遂行するためであれば、いかなる作戦を取ることを辞さないという岸信介の強い決意は、清和会の基本方針として今に至るまで受け継がれてきた。

 戦前戦後の日本を通じて一貫する特徴は、国家を含む組織において、一度始まった事業は失敗に終わる認識が組織内で明らかになってきても、この状況を正式に共有することで事業を中止するには至らないところにある。それゆえ、失敗事業による組織の危機は組織外からの強制によってしか起こり得ない。その背景には、組織内で立場を守ってさえいれば失敗責任が追及されることはなく保身が図れるという「危機感の無さ」がキーワードとなるであろう。先の戦争では敵国軍隊と自国政府が国民に与えた被害の甚大さを「事業の失敗として」受け止める立場は戦争の正式な遂行責任者である天皇だけが担っており、ほかに誰もその責任を取る立場にはなかった。にもかかわらず、歴史的事実としては、失敗に至った戦争を遂行した昭和天皇の責任は自国民からも追及されず、天皇断罪による日本統治の混乱を回避したい米国の意向もあって、戦前の大日本帝国と戦後の日本は、国体の国民支配の構造としては切れ目なく連続してしまった。最高責任者以外は責任を取らない立場にあり、かつ最高責任者は責任をまぬかれた、この歴史的事実は非常に重いものがある。

 この失敗責任を取らない特徴は、戦後の歴史において、朝鮮戦争を契機とする高度経済成長という巨大な事業が失敗に導かれていってもそのまま継続させる社会構造を生み出したように思われる。経済成長そのものは国民のふところをあたため、多くの国民に支持されたわけであるが、食料供給を担う農村と都市との間の生活格差を拡大させるなどの諸矛盾を内包していたことは言うまでもない。また、経済成長の拡大の抱える根本的な問題は、地球資源の有限性と地球と海陸生態系の相互作用によって維持されている自然環境の劣化という「地球の限界性」というハードルを、科学技術の発展によっては超えることができないところにある。したがって、この点への「気づき」が政策にフィードバックされなければ、経済成長事業が失敗に終わることは必然的である。我々日本国民は、その事業失敗の結果に、現在直面している。

 以上をまとめると、戦後の国民支配構造は、上皇に代表される先の大戦への反省と憲法重視の考え方と戦前回帰の清和会の考え方の対立を含みつつ、両者の野合によって経済成長事業を推し進めてきたが、地球限界による事業の失敗が必然化した現在でも、失敗責任を誰も取らない危機意識不在のため、我々は事業失敗の被害を受けつつある、と言うことになるだろう。

3. 統一教会による国政の乗っ取り

 ここであらためて重視したいのは、戦前に甚大な被害を受けた「アジアからの日本への怨念」である。戦後日本を「敗戦によってゼロから出発して、米国に従属して経済発展を推進してきた」と捉えたとき、戦前の大日本帝国の朝鮮に与えた被害への日本国民の認識としては、上皇の「被害を与えた反省」と清和会の「被害を与えたこと自体の否定」に分かれてはいる。しかしどちらの立場に対しても、朝鮮人にとって、あるいは中国人を含む多くのアジアの人々にとっては、日本政府及び日本人がまともな総括をしたとは決して映っていないと考えられる。朝鮮人や中国人だけではなく、各国の華人をはじめとする人々が帝国軍隊によって虐殺されており、この被害は容易に清算されるものではない、と考えておかなくてはならない。

 したがって、統一教会による日本人からの金品巻き上げや日本の韓国への隷属は、朝鮮人の「被害意識に対する怨念一般」の中における文鮮明の抱いた「ゆがんではいるがひとつの特殊な怨念」の結果とみなすべきである。文鮮明の野望をただ荒唐無稽なものとみるのは、日本人にとっては都合の良い考え方ではあるが、それだけですませるような軽い話ではないのではないだろうか。さらに、怨念一般は北朝鮮の金日成政権にも中国共産党政権にも共有されるものであることに注意しなければならない。とはいえ、各国政権は、たとい北朝鮮といえども、戦争による政権の崩壊の危機を避けるために外交を展開している。中国の軍事大国化、挑発的行動も、高度な外交戦略として位置づけられていることを見据えなければならない。同時に、状況によっては、軍事衝突を選択肢の可能性として残しているわけであって、そのことはロシアのプーチン政権によるウクライナ侵攻で証明された。

 とすれば、日本を取り巻く米国とアジア各国は、外交による戦争回避努力と場合によって戦争開始の可能性を天秤にかけて危うい選択を模索しているとみることができる。その中にあって、統一教会は政権ではないのだから外交を担う立場にはない。ただ、日本への恨みだけを持っている組織である。そのため、最大の願いは日本をひどい目に逢わせて恨みを晴らすことである。これは軽視すべきではない。その願いを実現させるためには、米国と中国、米国と北朝鮮の緊張が高まってゆくことが望ましく、中国か北朝鮮に敵国である米国の基地が多数存在する日本を空襲してもらうことは、理想的な展開なのである。

 このようにみたとき、安倍晋三やそれを受け継ぐ岸田文雄の外交や防衛政策は、まさしく、この緊張を高め、文鮮明のゆがんだ理想を実現化させるものであることに注意しなければならない。中国人、ならびに韓国と北朝鮮に分断されている朝鮮人へ国民の差別意識をあおり、戦前の大日本帝国への回帰を念願する清和会=安倍派の策動こそ、日本・韓国・北朝鮮・中国を主要メンバーとする東アジアの緊張を高めるものであって、文鮮明の恨みを晴らす欲求に沿うものなのである。日本を除く韓国・北朝鮮・中国は、表面的な対立はあるにしても、何とか互いの政権の面子をたてて存続を許し、戦争を回避しようとする努力を行っている。しかし、統一教会はカルトである以上そのような意図はない。自民党政権はそのカルトの意向に沿って、他国とは異質の危険な判断をしかねない。恐ろしい現状である。安倍支持勢力が皇室に男子が少ないのに女性天皇をかたくなに拒否するのも、文鮮明の日本を解体したい野望と結果的に合致している。あまりにも嘆かわしいことではないだろうか。

 以上の議論から、本論の冒頭に述べた「韓国との関係が良くない自民党政権が日本を敵視する韓国カルトと癒着してきたのはなぜか?」と言う素朴な疑問に対しては、「大日本帝国による被害の恨みを晴らそうとする韓国カルトの支配下にあるからこそ、自民党政権は韓国との関係を良くすることができないのだ」と答えることができよう。

4.現在における課題

 戦後の日本は、国民支配の有効な手段としての高度経済成長政策が地球の有限性によって見直されるべきであったのに、失敗責任を取らない危機感の無さという日本の組織の特徴によって政権は何らの対策も取らず、現在も経済破綻の方向へ向かい続けている。加えてもうひとつの戦後の国民支配の手段は、清和会=安倍派による戦前回帰・人権抑圧を願うものであったが、1970年代までの経済成長が順調な間は大きな勢力にはならなかった。しかし、地球限界に直面して経済成長の諸矛盾が明確になって以降、戦前回帰の勢力が大きくなり、現在では、その人権軽視の政策が宏池会を含めて自民党全体をおおうようになってしまった。なぜそうなってしまったのかの分析は改めてなすべきではあるが、大日本帝国への遺恨に対する敵討ちを中国によって晴らそうとする文鮮明の戦略が清和会を媒介にして自民党政権を誘導していた点がその原因のひとつであったとみなすことは可能であろう。

 自民党政権は、統一教会の影響を受け、その被害者を含む生活困窮に陥った弱者を救済しない人権無視政策を続けてきた。だがその結果として、最高指導者を絶望に瀕した被害者の銃撃によって失った。この容疑者は、自らが甚大な被害を受けた統一教会に対して復讐効果の最も高い人物として安倍晋三を定めたわけであるが、容疑者個人の恨みの結果としてだけこの殺害事件を受け止めることは間違っている。なぜなら、この殺害事件は、弱者を救済しない自民党政権による国民支配とそれを許している日本社会を原因として発生したものだからである。

 大日本帝国による朝鮮人が受けた被害事実を直視して総括できない日本の政権の過ちを背景にして、文鮮明はその復讐を日本人に被害を与えることに置き換えて実現させた。帝国の支配に対する被害意識は朝鮮人に正当に共有されるものであるから、本来であれば、日本の戦後政権の過ちとそれを許した日本人に対する政治活動による問題解決の動機となるべきものであるだろう。しかしながら、問題解決が不可能に近い経緯が存在してきたために、文鮮明の恨みは日本人に被害を与える統一教会の非道な活動にすり替えられてしまった。

 文鮮明の恨みを晴らすゆがんだ論理は、安倍殺害容疑者の論理と表裏一体になっているのではないだろうか。すなわち、統一教会による被害を救済しない日本の自民党政権の過ちを背景にして、容疑者はその統一教会への復讐を自民党政権の最高指導者の殺害に置き換えて実現させた。日本政府の救済拒絶政策に対する被害者意識はカルト被害者を含む弱者に正当に共有されるものであるから、本来であれば、困窮に直面している人々の救済を求める政治活動による問題解決の動機となるべきものであるだろう。しかしながら、問題解決が不可能に近い経緯が存在してきたために、容疑者の恨みは非道な殺人行為にすり替えらえてしまった。

 つまり、文鮮明が日本人を隷属させる不当な欲望の背景には、朝鮮人に被害を与えた歴史の総括をしない日本の政権の過ちが存在するように、容疑者が安倍晋三を殺害した動機の背景には、弱者を救済しない日本の政権の過ちが存在する。さらに、このふたつの過ちのさらに裏には、失敗事業の責任を決してとらない危機感の無さが戦前戦後を通じて通底的に存在し、天皇を権威としていただく日本における通歴史的な特殊性がこの無責任構造を支えていることを見落としてはならない。言い換えれば、朝鮮を含むアジア諸国に被害を与えた大日本帝国の罪状を総括しない自民党政権とその国民支配を許してきた日本における無責任構造が、文鮮明のゆがんだ野望に貢がされた弱者や、その被害者を含む困窮者を救済できない現状を生み出してきた。安倍殺害事件はその陰惨な結末であるからこそ、遅きに失したとはいえ、「自民党政権とその国民支配を許してきた日本における無責任構造の深刻な問題点」を日本人に気づかせたのだと言えよう。

 戦後社会においては、日本の政権が大日本帝国の朝鮮支配を総括してこなかったことが文鮮明の恨みを増長させることになり、政権は、その戦略によって生じた日本人の被害を救済せずにむしろ国民支配に利用してきた。しかし自民党政権による統一教会利用の拡大は、「ひさしを貸して母屋を取られる」のたとえのとおり、統一教会の日本への復讐戦略を推進させることにつながり、その戦略は、今や、中国や北朝鮮による日本攻撃による日本の焦土化が危惧されるところまで進展してきてしまった。いかにしてこの破滅への流れを阻止できるか、今が正念場であろう。